ラベンダーの咲く庭 LavandeBleu

日々の食事を記録するついでに雑談しているブログです

雑40

GWは最終日と言われてますがちょっとリアルの話をします。

 

 

その前に、この間書いたシューティングの話、4人しか読んでいないことが分かりました。

 

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投稿日(4月26日)におそらくtwitter経由で3回、その後誰かの気まぐれで1回、記事(またはTOPページ)が表示された模様。

普段こういう野暮な話はしない方針なのですが、ある意味、興味深い現象を感じたので残しておこうかと。シューティングの話は、読まれない・・・!

詳しく計測したことはないですが、FF14関係の記事を書いたときは、体感で10回前後のアクセスがあるみたいです。計測期間にもよりますが、話題による興味の高低が如実に表れている結果と言えますね。もともとあまり人が来ないけど輪にかけて「ほんとに誰も興味ないのねえ」と感じた次第。

twitterで投稿しない場合はもちろんゼロ回です。

ちなみに今回は投稿しません。

 

 

 

 

最近のリアルというとそう、結婚式の話です。

 

早くも本番までひと月。招待客リスト、テーブルプラン(席次表)、席次表に入れるプロフィール、式のおおまかな進行まで決まった。あとは中座のときに流す生い立ちDVD的な映像を作ったり、式進行中に流すBGMを決める作業が残ってる。

式やるのって滅茶苦茶おカネが掛かるってイメージあったんだけど、まあ確かにメチャクチャ金がかかります。入籍とか事前儀式的に用いる高級品であるところの指輪なんかも含めると、東京で働いてた頃の年収分くらい掛かるんじゃないか。生々しい話ですね。

実は金以外にもメチャクチャ必要なものがあります。それは気力です。エナジー、マナ、MP、などと言い換えることもできますが、半年ほどの長期間、式のための打ち合わせに出かけることや、何かを決めるたびに金額が増していく絶望感と戦わなければなりません。

・・・厳密な事を言えば、お金は一人で出すというよりは結婚する二人で出し合うものなので、物理的というよりは「こんなことにこんなに掛かるんだ・・・」的な精神的負担のほうが強い。一例を出すと、披露宴に出てくるコース料理は、一人一式●●●●●円です。生涯で食べた食事で何よりも高い。節約しようとすれば出来ないこともないけれど、その分いろいろみすぼらしくなります。一生に一度。そう考えれば考えるほど、頭で分かっていても金額が膨らみ続ける見積書を見つめるのは苦しいものです。

 

実に生々しいですね。でも経験者なら理解していただけると思うのですが、打ち合わせのたびにそういうことを、ひとつ、またひとつと決断を迫られてゆくわけです。会場に飾り付けるためのお花、当日の衣装、司会の依頼料、後に残す写真集の撮影と印刷費用、会場を貸し切ること自体への費用など、式にまつわる何もかも。これはものすごいことです。一生に一度しかやりたくありません。これまでの人生でこれほど物理・精神ともに負担のかかる作業はあったでしょうか。いやあったかもしれない。

ただ、実はこれが今後の人生の入り口に過ぎないということも、頭では理解しています。むしろ、これしきの事が二人で分担出来なければ、到底夫婦というシステムは存続ができないことでしょう。

おそらく次に待ち構えているのは子育てという、極めて困難かつリスタートの効かない大仕事でしょうか。いえまだ当分は先ですが。

 

 

 

 

 

生い立ちDVDとは、いわゆる「お色直し」に中座するタイミングで、若干の間を持たせるために流す映像のこと。当然、過去の自分の写真と向き合わなければならないんですが・・・これが全然、ない。中高のアルバムに至っては、自分が写ってるのは集合写真しかない。何やってたんでしょうね。ゲームしかやってなかったんでしょうか。

前回のシューティング話でも書きましたけど、ずっと家ゲーマーだったのでたぶん本当に一人でゲームやってばかりだったんだと思う。学校帰りに寄るのはゲーセンではなく中古ゲーム屋。だいたい3千円くらいを上限にRPGSTGを買ったり、あとは大技林読んで気になったゲームボーイのソフトとかを買ったり。懐かしいですね。

 

そういうわけで、僕の写真は高校までしか現存していません。その後十年近く、大学辞めたりROやったりバイトしたり大学に再入学したり就職したり、さらに就職後の約十年も、旅行とか全然しなかったし、データにも全くありません。あるとするなら、夏の陣とか大規模なツイッターオフの時のやつか。あの時、誰かが一人ずつ撮って周った映像がHDDに残ってまして。ヤバイですね。一生外に出してはいけないやつです。

もともと写真に自分の姿を収めるのが嫌いだったし、何も考えずに生きてきた弊害ですかね。たぶん新郎の映像に期待はされてないはずなので、適当になんとかします。新婦側の映像と比べると顕著ですが、来賓の誰も一緒に写ってない写真ばかりですのである意味面白いですよ。

 

なんども何度も思いますが、自分が結婚するなんて今だに信じられませんね。自分がそうなのできっと周りも信じてないと思います。式を挙げることも、自分の器ではないというか、そんなことをしてしまっていいのかとすら感じてしまう。特に新郎側でお呼びした方々にはご面倒をおかけして本当に申し訳ございません。予定を取っていただくのも、遠方で前日からお手間をお掛けするのも、外れクジを引かせてしまったようで本当にすみません。一生に一度だけなので、どうか当日だけ我慢していただければと願うばかりです。

 

愚痴のように書いてしまいましたが、本当に時間とか現玉とか色々掛けて、さらにこうして人様にご迷惑をおかけするのは十分承知なんですが、たぶん一生のうちで唯一、親孝行出来るのがこのタイミングしかない。ので、二人のためも勿論あるのだけど、結婚式というのは両親、親族、知人友人や会社含め世話になった人のためにやるのだということを、今一度改めて考えながら、もう少し頑張ろうと思います。