ラベンダーの咲く庭 LavandeBleu

日々のRFAを記録したり雑談したりするブログです

雑69

久しぶりに近況というかここ最近のあらましになります。長いからお暇な方だけどうぞ。

 

 

ついったーに書いたとおり、6月21日、ありがたいことにお子様を授かることができました。

約29週、954gの超低出生体重児でした。

 

 

・6月21日当日

いつもの産婦人科よりちょっと大きい病院で診察を受けることになった当日は、「もしかしたら入院になるかもね~」と先の担当医に言われていたこともあり、わりと念入りに準備をして赴いたのでした。今思えば、ちゃんと用意して行って良かった。

11時の予約で行ったもののそこそこ混雑していたので、こりゃ時間が掛かりそうだな~と、産科の外の待合用ベンチでノンビリかまえていました。が、14時になってもまだ診察は終わらない。なんだろう、大丈夫かなと不安に思いつつ、嫁とは診察や検査の合間にLINEでやり取りをしていたのだけど、「もうすぐお迎えがくるって」という謎の文章が送られてきたのが最後でした。

ほどなくして、車椅子に乗せられた嫁が登場。お迎えというのは車椅子のことでした。

これまで見た事がないくらいションボリした嫁を見て、これはただ事じゃなくなったな、という感想を持ったのを覚えています。何か励ましの言葉をかけなきゃと思ったもののその哀しみに暮れた姿を前にろくな言葉が掛けられず、看護師さんが駆け足で車椅子を押すのに慌てて付いていくことしかできませんでした。

 

「血圧の数値が悪い」と診察中のLINEで聞いていたので「緊急入院になります」という話はある程度覚悟を持ったうえで聞くことができました。病棟は、MFICUという産科のなかでも特別な病室が集まるエリアでした。待機していると看護師がやってきてお昼はまだですか?と聞かれ、おそらく診察等にまだ時間が掛かるので、下階の売店等へどうぞということになった。適当におにぎりやパンを、嫁の分も購入しつつ6時間ぶりに食事を取りました。それがだいたい午後3時頃。

食べてお手洗いにいって少し経つ頃、医師が説明にきてくれました。

 

「入院というか、緊急帝王切開をすることにしました」

え? つまり、今日、産まれるんですか?

「そうです。予想以上に胎児が弱っています。このままお腹にいるほうが、お母さんにもお子さんにも悪いという状況です」

それはまた・・・随分急な話になってしまった。

「ですので、お父様にはまだちょっとここにいてもらうことはできますか」

それは大丈夫です(※急ぎの仕事の件はあったけど一応説明はしてあったので)

ちなみに、どれくらいの時間がかかるんですか?

「小一時間くらいかな、たぶんですが」

そ、そんなもんなんですね・・・。

「では、宜しくお願いします」

こちらこそ・・・。

 

概ね、こんな感じの会話をしました。

まじで? 予定9月だったよね? 血圧が高いのと、お腹の子の体重が増えてないってことで紹介状を書いてもらった二日後、まさか、まさかのこんな事態に。でも、思い返せば、きちんとMFICUなりNICU(胎児用の集中治療室)のあるこの病院を紹介してもらえたおかげかもしれない。同じ市内の総合病院で診察してたら間に合わなかったかもしれない・・・なんてイフを考えてしまいますね。

 

ともかく、まさかの急展開の結果、月曜日の夕方、2か月早かったものの、何とかお子はこの世に生を授かることができました。産婦人科の診察で言われていたとおり、女の子でした。

立ち合いはもちろん不可能だったけど、産まれた直後のベビーの写真と動画を撮ることが出来ました。想像以上に、それは小さな小さな赤ちゃんでした。通常「未熟児」と呼ぶのは2000g台なことが多いみたいだけど、それを考えると1000g以下のうちの子は本当に奇跡的というか異例だった。母子とも無事に助けてもらえて感謝しかなかったです。

 

 

・6月22日以降のこと

21日夜に嫁・お子の入院概要や提出するべき書類等の説明を受けて帰ったのが22時過ぎ。風呂に入ってからその日中にやらなきゃいけない仕事を消化して、書類を書けるだけ書いたあとは泥のように眠って一夜が明けて。

小さく産まれてきたお子はもちろんのこと、嫁の病状もそこそこ深刻ではありました。

いわゆる、妊娠高血圧症候群です。何らかの理由で血圧が上がり、その結果、胎児に栄養が届きづらくなったり腎機能の低下によって尿蛋白が出たりといった症状が妊娠後期に出ることがある、とは聞いていたけど、まさか嫁がそうなるとは。6月上旬の診察では順調で、つぎは何グラムに成長してるかなぁ?などと言い合ってたぐらいだったのです。まじで突然の変調だった。

さて、切開後もある程度の期間は高血圧が続きますという話を医師から聞いていたのだけれど、LINEでの嫁の報告を聞くにつれ不安は増す一方でした。血圧は下がらず、相変わらず尿蛋白も出ている。加えて、嫁がいわゆる「マタニティブルー」の状態に陥りつつある。

嫁曰く「朝が一番ダメだった」とのこと。意味もなく気持ちが沈み、このまま一生退院出来ないんじゃないかとか、自分のせいで子どもが小さく産まれてしまっただとか、不安になって仕方がなかったそうです。

そんな状況のなか、僕は僕で入院書類の準備や提出、入院医療費がどうなるのか調べたりとか毎日の洗濯などの家事、上記の嫁の精神ケア(※症状や薬や治療法や体験談などをネットで調べまくってどうこうするのが良いよとか不安要素を解消する手助け)だとか、ぼちぼち処理しなければならない仕事、自分の両親への出産報告、そしてもちろん、嫁の洗濯物などの受取・差し入れ、あとNICUに居るお子様の見舞い・・・というのを一週間ほど繰り返してかなり疲弊していました。

 

結局、嫁の高血圧対策には降圧剤が処方されることになりました。頭痛や顔のほてりなど副作用も出てしまうのですが、結果的に血圧は上下とも下がって尿蛋白も出なくなりました。MFICUへの入院は最大2週間とのことでしたが、10日目の7月1日に検査をして、じゃあ退院していいよと軽く言われたそうです。

その報告を朝一に受けて、慌てて迎えの準備をする僕。雨の中、大量の荷物を抱えての帰宅はしんどかったけど、ひとまずはほっと一安心。もちろん次の産後健診までは降圧剤を飲み続ける必要はありますが、一応の安定はしている様子。副作用も近頃は少し落ち着いてきたようです。相変わらず切開跡の傷は触れると痛むとも。

 

 

・いまやっている事

産後の我々夫婦の仕事として最も大変なものが「搾乳」です。

別にエロいワードでもなんでもなく、まだ直接ミルクを飲めない子どものため、3~4時間おきに専用の容器に母乳を絞り専用の袋に保存・冷蔵・冷凍を行う作業、それが搾乳です。朝も昼も夜も、です。

搾乳器は電動のを使っていますが、使用後は必ずパーツをバラして洗剤で洗うことに加えて専用の消毒液に漬け置きする必要があります。使う時は不織布でそれを拭く作業もあり、とにかくこの一連の作業が大きく日々の負担となっています。洗うのは誰、拭くのは誰、などと役割は特に決めずにその時々で出来るほうがやっています。もちろん絞る作業だけは僕は手伝えませんが。

さて、搾乳して保存した母乳は当然ながらお子様の元へ運ばねばなりません。母乳には安全衛生上の観点から使用期限があります。冷蔵の場合は4日。冷凍は確か半年。ただ、いまだ保育器のなかで管がたくさん入ったお子のため、母乳を届けること以上に、可能な限り毎日通って様子を見守るのが我々の最たる仕事であるとも言えます。

なので、特についったーでは言及していませんが、毎日、往復で70km以上は運転していることになります。クルマに乗っている時間は渋滞含めだいたい2時間くらい。出かける前後の準備や、見舞にかかる時間、買い物や嫁実家に寄ったり等々を含めると約半日は出かけていることになります。

お子の見舞いにあたっては、毎日ビデオカメラを持って撮影をしています。ひと昔前のハンディタイプのやつです。NICUにはスマホを持ち込めません。あと書き忘れていたけど、嫁の入っていたMFICU含め原則は面会禁止で病室には家族でも入れません。お子様だけは、父母なので特別に面会が許されているというか、カンガルーケア(直接胸肌にお子を抱く、一種の精神療法)とかを行う必要があるのでむしろ父母の面会は推奨されています。

ただし、入る前に検温、面会シートの記入(コロナの陽性者との接触がないかなど)、お子様に触れる前は必ずアルコール消毒をする、というルールがあります。セキュリティ面では、エレベータホールから病棟への入り口は顔認証付きという徹底ぶり。最近の病院はハイテクだなあ。

 

 

・現況と今後

昨日くらいから嫁に調理を任せる事が出来るようになって家事は少し楽になりましたが、それまでは結構しんどかったです。夜の疲れ果てて寝る直前にしか時間を空ける事ができず(これ自体は今も一緒だけど)、ゲームをしても逆に疲れる始末。マジメに「生活」するのって疲れるんだな・・・と心底思ったと同時に、これまでどれだけ手を抜いてきたんだとも。余暇がなければ運動どころか娯楽もろくに出来ないというのが良くわかりました。

今もまだ、以前のようにリングフィットをやるだけの時間・気力の余裕はありません。時々プランクだけやるようにしてるけど、それも午前忙しかったりするとダメですね。今後僕と嫁とで「できるだけウォーキングして体力つけよう」と言い合ってはいますが、実際そんな時間が取れるのかなと思わなくもない。

 

搾乳が大変だとか病院が遠くてしんどいとか、色々書いてきましたが、子育てはそもそもまだ始まってすらいません。何しろお子様が手元にいませんから、お風呂の入れ方(沐浴)やオムツ替えやら授乳やらお子様の寝る起きるペースやら何やらは、これから覚えていかねばなりません。健診や予防接種も含め、小さいうちは気を付けることはものすごく色々あります。そうなるときっと、もっともっと時間や心に余裕はなくなるでしょう。

予定としてはお子が無事退院出来たら、その日から嫁が里帰りをすることになっています。その期間だけはまた一人暮らしになるので、夜はある程度自由が利くかもしれません。ただ里帰り中もおそらく毎日、嫁実家へは通うことになるので疲労することに変わりはないかもしれません。

 

ちなみについったーにも書きましたが、お子様の名前は長い間検討を重ね、無事にお互い納得した名前に決めることができました。具体的には言いませんが、読み方自体はありふれた名前で、漢字だけ少し捻った感じ。ただ当て字ってほどでもなく、極端に画数多くもしたくなかったので、そこそこありふれた漢字ではありますね。

 

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これは、お子様の名付けのために二人で出し合った読み方だけを出力した、言わば初期候補案です。ちなみに本決定した名前はこの中にはありません。「みのり」とか「あや」「あやせ」あたりを結構推してたんだけど良い漢字がなかった。

 

 

不特定多数に向けて言うことではなく、かといって特定の誰かに愚痴を言えるほどの胆力もないので、また、このブロゴに書いてしまいました。これも不特定多数向けだろうと言われればそうなんだが、まあわざわざ読みにくる人はついったーのフォロワーよりも確実に少なかろうと思って、結構まじめにこの数週間の経緯を書いてみたよ。どちらかというと自分向けの記録だ。

 

まだまだ、本当に始まったばかりだ。不安だらけの毎日だけど、夫婦一緒に頑張ったり、頑張らなかったりして、そこそこ頑張って生きていこうと思います。したらな!