ラベンダーの咲く庭 LavandeBleu

日々のRFAを記録したり雑談したりするブログです

雑72

今日、思いがけないところで思いがけない単語を目にしたので、ちょっと書こうと思った。

最初に断っておくと、気分が良くなる類の話ではないので、別に構わないよという方のみ、閉じた先にお進みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに改行を空けてまで念入りに隠したのは、「死ぬこと」に関する話だからです。

 

普段、2D STGに関する情報収集用にtwitterのリストを作っているのだけど、そのなかのとあるアカウントが『八本脚の蝶』について言及していました。ただフォローしているわけではないので、いいねボタンは押さず、でも今の気持ちを忘れたくないので、今日、とにかく、すぐに、この話題でブログを書くことにしました。

 

単語自体、自分の中ではすっかり記憶の彼方に追いやっていて、目にしてようやく「あぁ、あれだ」と思い出した。もうずっと忘れていた。これまで何度か思い出すタイミングはあったかもしれないけど、それすらも忘れていた。

 

なんだそれ?知らないな、という方はまずこちらから読んでみてください。できればググらずに。最初から。

 

oquba.world.coocan.jp

 

『八本脚の蝶』は、とある編集者のブログでした。日付からもわかるとおり、ずいぶん古いものです。まだインターネットが普及し始めたばかりの頃で、インターネット老人会を自称するようなオタクなら個人のwebsiteの1つや2つ作った経験がおありでしょうが、2001〜2003年という時代は大体そのぐらいの時期だったと思います。

その頃は、僕もそういう行為に憧れというか目立ちたい一心というかがあったのは確かで、サーバを借りて個人サイトを作っていました。そして数多の例に漏れず、このはてなブログのような、誰が読むとも知れない日誌みたいな戯言を、僕自身もせっせと書き綴っていました。今でこそ誰でも出来るものになりましたが、インターネットで日誌を書くというのは、まだまだ一般的ではなく一部のオタクだけの嗜みみたいな感じだったのを覚えています。ちなみに、いまだにせっせと書いているこの「lavandebleu」というブログは、その頃に始めた遊びが元になっています。随分遠くまで来たものだね。

 

その当時はtwitterのようなSNSは、もちろん存在しません。ネット上の知り合い(つまりROや2ch系の掲示板で知り合った人たち)とは、メッセンジャーやチャットルームで会話をしていたように思います。なので、個人サイトの主な訪問者は、そのような「ネット上の誰か」が中心だったはずです。その辺はまあ、このはてブロでも変わっていないのかもしれない。でも、更新したことをどうやって発信していたんだろう。何も言わなくても見に来てくれるような知り合いが、当時はいたんだろうか。

 

さて、弱冠十九や二十歳そこそこだった僕は色々な何かに思い悩んでいました。ネット上の対人関係だったり、自分の将来だったり、生きるとは何か、何が楽しくて毎日を送るのか、など・・・まあ歳を取れば誰でも一度は考えるような類の、ありきたりな悩みです。もちろん当時はしっかり真剣に、自分なりに、どうしてそうなるのか、答えを知りたくて、あるいは答えをこじつけたくてたくさん悩みました。

そして、出来れば痛みも苦しみも怖くもなく、すぐに死にたいと思っていました。それなりに真剣に、この世から消えてしまいたいと感じる毎日でした。

 

ある日、そういうような「死ぬこと」に対する思いを、自分の個人サイトに日記として載せました。

死については、知らない世界の一つとしてある意味憧れがあったのかもしれません。現実はとにかく寂しく辛く孤独で、生きる目的の一つも見出せず、なんだか悩むのも疲れてしまった。死は一つの救済なのだ。

そこまで書いたかは覚えてませんが、その日の僕は、きっと似たような文章をどきどきしながら投稿したのでしょう。こんなところどうせ誰も見てはいない、自分なんかは誰も気にかけてはくれない、だから何を書いたっていい・・・。でも、おそらくそれを見過ごせなかった人がいたのです。

 

その投稿の翌日か、あるいはもう少しあとか、ひとつのメッセージが僕に届きました。それは個人サイトに設置していた「ひとことフォーム」(これも当時流行ってました)からと思われる、匿名のものでした。もうそれがどのような内容だったのかは詳しく覚えていません。メッセージの届いたメールアドレスや自作の個人サイトももちろん、何もネット上には残っていないからです。

ただ一つ、そのメッセージに添付された一つのURLを除いては。それが『八本脚の蝶』でした。(※当時の旧URLは既にリンクが切れていて、今残っているのは有志?が別サーバに移植したもののようです)

 

「君がどう考えて何を言おうが勝手だ。ただこれを読んで欲しい」

 

たぶん、そういう趣旨のメッセージとともに一つのブログが紹介されていました。メッセージの送り主はなぜこれを紹介したのか、僕に何を伝えたかったのか。今になってもはっきりした理由は知りません。当時の知り合い一人一人に確認したわけではないし、そもそも全く知らない誰かだった可能性だってあります。ただとにかく、その後の僕の人生において、生と死にまつわる何かが連想されるたび、『八本脚の蝶』を記憶の底から引っ張り出すことになりました。僕にこのメッセージを送った人はすごいと思う。二十年弱もずっと僕の頭に残り続けているのだから。

 

さて、冒頭で出来れば最初から読んでみてと紹介したうえで言うのもあれなんですが、そのブログの「作者が自殺した」ということが事実らしいのはまずお伝えしておきます。

”彼女”、二階堂奥歯氏は、ブログを書き始めた(記録のうえでは)2001年6月の約二年後に、飛び降り自殺をして生を終えました。

 

僕が初めて『八本脚の蝶』を訪れた際には、既に亡くなった後だったと思います。そのうえで一通りそのブログを読み、固有名詞はほとんど分からないものの、ただ彼女が「普通の一人の人間」であったことが僕の頭に残りました。

そして、死ぬことの重みがのしかかってきました。思えば不思議なものです。このブログの主は僕にとって赤の他人。普段、ニュースなどで目にする死亡事故、殺人・自殺事件の当事者たち。どちらも同じ、無関係の人間であるはずなのに、二階堂氏の最期はなんだか特別なものに思えて仕方がなかった。誰かが僕に向けて紹介したものだから、というのを差し置いてもなお、この人の死は僕に直結はしない。ただちょっと年齢が近く、ずっとずっと死ぬことについて考え続けた結果、僕とは違う人生になっただけだ。それなのに、悲しかった。人間が死ぬと、家族や知り合い、会社の人、現場に居合わせた人、ネットで関係があった人、それぞれ全員に大きな影響を及ぼす。何なら、ブログという形で死ぬ直前の記録を残してしまったがために、何の関係もない僕の頭にすら、彼女の死は記憶されてしまった。

当時、僕が彼女のように自殺することを選択しなかったのは、このブログを読んだこととはたぶん、直接は関係ないと思います。リアルな自殺の経緯(というほど、日誌と関連はないけれど)を読んで怖くなったのか、というのも少し違う。では、どうして僕は死なずに今があるのか。死ぬことを考えるたび、なぜ彼女を思い出すのだろうか。

 

ところでこのブログが書籍化していたことについては、件のツイートがきっかけで調べるまで全く知りませんでしたし、特に知りたいとも思いません。何らかの商業的な理由と、いくつかの個人的理由が交ざった結果なのでしょう。ただ、この書籍についての書評みたいな文章がネットに転がっているので少し読みましたが、正直好きではありません。

 

今の自分は家庭を持ち、以前ほど死ぬことに頭を支配されることは少なくなりました。別に自殺したいとも思いませんし、何しろ二階堂氏のように怖いのも痛いのも嫌いだから、出来るだけそういうものは遠ざけたい一心で日々生きています。

でも、死は常に隣り合わせだとも思っています。普段見ない、口にしないからといって、それが無関係なわけではない。いつでもそれは口を開けて待っているのだと。

 

どちらかというと、自分が死ぬことより誰かに死なれることのほうが、よっぽど恐ろしいです。妻や子はもちろん、親兄弟、知り合い、会社の関係者・・・たとえ死んでこの世から身体が居なくなっても、彼女のブログのように、存在は消えないからです。

出来れば僕より先に誰にも居なくなってほしくないなあ。世間で起きている「死」について考えるたび、こう感じることが多くなりました。怪我や病気、事件、事故、災害、どれにも遭ってほしくないです。何も起きないでほしいです。

 

それで、結局何が言いたかったのか分からなくなってきたので、この辺にしておきます。久々に書いた食事以外のものが、なんだか後味悪い文章ですみません。読む人がいるのかは、分からないけれど。