ラベンダーの咲く庭 LavandeBleu

日々のRFAを記録したり雑談したりするブログです

雑13

土曜は仕事に出て日曜は観劇という慌ただしい週末だった

 

自分にもともと演劇を観るとゆう趣味はないのだが、今回の導入としてはこうだ、

・両親の知り合いの人の一人娘が演劇を生業にしていて、
・良かったら観に行ってやってほしいと頼まれて、
・「出来ればあんたも来て」ということになった

仕事の状況が直前まで芳しくなかったので一度断りの連絡を入れたものの、土曜中に何とか片付いたので付き合うことにしました。一人暮らしが長いとね、彼等になるべく顔を見せてやるのも親孝行かなと、今更ながらに思うわけです。ここまでわりと好き勝手やって生きてきたというのもある。それはともかく。


場所は築地のブディストホールとゆう100人前後?入るようなところがあり、寺の一部にこんな劇場があるなんてのは今回訪れるまでずっと知りませんでした。そもそも築地本願寺に足を踏み入れたのも初めて。普段そこから歩いて10分くらいのとこで仕事してるんですけどね。

公演は午後から始まって計4本の演劇を100分掛けて行われました。映画館に行ったのと近い体験でしたね。ホール内の広さも映画館の大体1ホール分くらいだった。
ちなみに、大雑把に言うと以下のような脚本でした。

・Youtuberと裁判ネタの話
・未来のディストピアで冬眠して云々な話
マリみて風のクソ百合ゲー実況ギャグの話
・障害者がモデルになりたい話

これらの話は基本的に全て人間の演技と劇伴だけで進むけど、一部スクリーンを使った動画なんかも交えていました。具体的には、それぞれの話が始まる前にオープニング的な動画が流れるのだが、コインランドリー店とおぼしき場所で、演技している役者が喋ったり洗濯物を放り込んだりしているところでタイトルの文字が浮かび上がるという、なかなか洒落た作りになっていました。一つの劇が終わるとまたコインランドリーが映って、今度は別の人物にフォーカスがあたるという感じ。なおコインランドリー自体は本編には全く関係ないです。これは、一応貸し切りとかして撮影したんだろうかな。

演劇内容は上記に挙げたとおりで、かなり若者向けだと思いました。ギリギリ僕ら世代でも通じるというか、まあユーチューバーなんて単語が飛び出すくらいだから、若くてもネット文化に疎い感じの人には厳しいかもしれません。特に実況ギャグなんかは、オタ文化に触れてない人には何が笑いどころかほぼ分からないんじゃないかなぁ。たぶん、僕らがよく失笑しているようなサブカルクソメガネ向け、と表現すると身内には分かりやすいかもしれない。

なかでも2話目はタイトルこそ未来が云々となってますが、未来ってのは実は劇中の主人公の嫁の名前でもあります。
この話だけあえてあらすじを言いますが、

“約200年後の地球上は色々なアレによって大地の大半が吹雪に覆われた不毛地帯と化していた!そんななか政策により優秀な人間の子孫のみを残すべく不必要な性交渉が禁じられたその近未来で、遂に人類は人工冬眠に着手しようとしていた。そんなディストピア世界で冬眠ワクチンを受け取る事のできた主人公は優秀な人類として選ばれたが、一つ悩みを抱えていた・・・それは、冬眠前に何としても童貞を捨てることだったーー”

というわけで、劇中で童貞だのDTだのセックスだのの単語が飛び交います。女性も男性もセックスって喋ります。何だろうね・・・この茶の間で映画のラブシーン始まっちゃった時みたいな気分。まあだいたいギャグだった。





なおその娘さんとうちの両親は別に知り合いではないので、特に話しをしたり挨拶をしたりという機会はありませんでした。そういえば、俳優と話したい人は残ってねっていうアナウンスがありましたね、意外とファンサービス精神はあるのかもしれない。
その人は、4話目で耳が聞こえない・言葉を話せない障害者の役で出演していて、劇の終盤の、声にならない声を叫ぶシーンなんかはかなり本物の障害者っぽい感じが出てました。うー、とか、あー、とか、そういう感じの声。実際の障害者を知らないのであくまで僕の思い込みですけれど。
その娘さんはさすが俳優というか、ルックスが良く小柄、かつオタ受けの良さそうな声をしており、おそらく色んなとこでファンが存在してるんだろうなぁ。今回の劇場に来ていた人は心なしか男性が多かった気がします。もちろん彼女のファンだけではないでしょうが。

彼女の母、つまりうちの両親の知り合いの人というのは、実際に障害を持った方なのだそう。
自分の父親曰く、障害者向けのボランティアのような事をしていて耳の聞こえないそのおばさんと知り合ったらしく、僕はそれを聞いて漸く「あの演技は劇のために練習したんじゃなかったんだな」と気付くことになりました。演技というより普段から手話をしているので、ああいう役がやれたのかもしれません。



ここからは勝手な推測というか想像になりますが。

なぜこの公演で、障害者の話をやったんでしょうね。彼女のファンならもしかしたら、ですが、少なくとも初めてみる人は(僕のような理由がない限りは)演技者が身体障害者に所縁の有る人物だとは知らないはず。今回が偶々だったのか、それとも不定期でそういう「ジャンル」の演技をしているのか。
劇中で、「夢のためなら(障害のような)負い目であっても己の武器にする覚悟が必要なんだ」という台詞がありましたが、それは演じる自分にも当てはまる言葉だったのでないでしょうか。脚本家はもちろん彼女ではありませんが、ある程度付き合いのある人物なら家庭事情は知っていてもおかしくはないでしょうし、それを理解した上でああいう劇を公開したのだと思うと、色々と考えるところはあったなと感じます。

ちなみに余談ですが、公演チケット兼フライヤーや告知用Webサイトではその彼女の横顔そのものがイメージ写真として扱われていました(という話を両親経由で知った)。詳しく調べてはいませんが、それなりに実力者というか中心的な存在なんでしょうか。


個人的に、演劇というのはお年寄りの老後の楽しみ的な位置付けで考えていたので、観客も内容も、想像以上に老若男女問わない感じなのが結構新鮮でした。ぶっちゃけていうと、よくテレビでやってるドラマの縮小版なんでしょぐらいの認識だったんだけど、全然違いますね。もちろん、この劇をもっと大規模にしたりもっと大人数に公開したいならテレビドラマっていう手法が適してるんですが、人が何かを演じているのを至近距離で眺めるというのは、確かになかなかない機会です。


また観劇に行きたいかと言われると「いまは忙しい」な感じなんですが、誘われたら行くかなぁ・・・という気持ちにはなった。たまには新しい体験に足を突っ込んでみるのもいいものですね。